徳田 耕太郎

パフォーマーインタビュー

今回は話題のCMでもお馴染みのフリースタイルフットボーラー、徳田耕太郎さんにインタビューをしてきました。

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Photo Credit : ayapanland.com

 

徳田耕太郎

ニックネーム -TOKURA-

レッドブルアスリート

 

1991/7/21

 

 

主なタイトル

・RedBull Street Style 2009 Japan Final 優勝

・World Freestyle Football Championship 2011 4位

・World Freestyle Football Championship Big one 優勝

・RedBull Street Style 2012 Japan Final 優勝

・Red Bull Street Style World Final 2012 Italy 優勝

・Red Bull Street Style World Final 2013 Tokyo 4位

 

13歳の時に、一冊の本からフリースタイルフットボールの人生がはじまる。2012年に世界6都市で開催される世界大会「2012 Red Bull Street Style World Final Italy 」にて日本人として初めて優勝し大きな話題となるなど、日本国内を中心に全国各地でパフォーマンス活動やレクチャー、クリニックなど精力的に活動している。

 

世界のフリースタイルフットボーラーである徳田耕太郎さんのお話を是非ご覧ください。


怪我をきっかけに新しい道が始まる

始めたきっかけ

Q.フリースタイルフットボールを始めたきっかけはなんですか?

始めたきっかけは小学生からサッカーをやっていたのですけど、中学一年生の時に書店に行ってサッカーの本を探している時に、たまたまNIKEの出しているフリースタイルフットボールのHow To 本を見つけ、覗いてみたらものすごく面白そうで、やってみたくなり買いました。

家に帰り、リフティングをまずは100回、そこからいろいろな技に挑戦し、1週間くらいで初メイクをしてみたら意外に出来てしまい、そこからのめり込みました。

 

Q.サッカーをやっていたと仰っていましたが、フリースタイル一本になったのはいつ頃からですか?

もともと中学3年生頃に高校からはフリースタイルフットボール一本でやっていこうと思ってました。

ですが、フリースタイルの練習中に頭を打つ怪我をしてしまいました。医者には脳挫傷と診断され長距離の運動ができなくなってしまったんです。

幸い医者にはリフティングはOKが出たので、そこからが本格的にフリースタイル一本になりました。

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Photo Credit : lineblog.me

 

いきなり変わる生活と初めての苦悩

今までの受賞歴

Q.今までの受賞歴を教えてください。

初めての大会は、2009年の「RedBull Street Style 2009 Japan」になります。それまで大会はあったものの出身が愛媛である事もあり、なかなか大会に出るのが難しかったんです。

まずはRedBull Street Styleの第一回大会である、2008年の大会を映像で観てると日本人選手である、横田陽介さんが世界2位に輝いてました。それを見てこういう道もあり、自分も絶対出てみたいと思いました。

 

すぐに横田陽介さんに連絡して次の大会があるかどうか聞いてみたところ、数ヶ月後にあると思うよと言われ、それを目指して練習したのを覚えてます。

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Photo Credit :  www.oldspitalfieldsmarket.com

 

調べると、予選が名古屋、大阪、東京の順番であり、絶対に決勝に行きたかったので名古屋から順にエントリーしていく予定でしたが、名古屋の予選でギリギリ5位に入りなんとか決勝の切符を勝ちとったんです。

決勝まで1ヶ月ほどあったのでオリジナル技を考え決勝に挑みました。このオリジナル技は今僕がやっているバックリップクラッチというバク宙でボールをキャッチする技の元となる技で、これを隠し玉にしました。

 

まさかの相手

決勝に進むと、まさかの1回戦で前大会ワールドファイナル準優勝の横田陽介さんとあたりました。

正直負けた、、。って思ったんですけど、開き直ってしまって緊張もなくなり、全てをぶつけることにしました。

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Photo Credit : tokura-freestyle.net

 

ノーミスで僕は終わり、横田さんにはミスが目立ったのもあり、2対1で勝てたんです。

そのままトントンと優勝してしまい、初めて日本チャンピオンになりました。

初めてのタイトルを獲得し、またチャンピオンになったので次の年の2010年、南アフリカの世界大会への切符も獲得できました。

 

初めての世界大会

2008年の世界大会から2年空いた2010年の世界大会、僕は切符を獲得したので挑んだのですけど、予選敗退したんです、。

2008年の大会映像があるので僕はそれで研究して、このレベルなら自分もいけると思っていたのですが、2年空いたこともあり新しい選手や全体的にもレベルが上がっていたんです。

 

当時レッドブルの学生社員として働いていた僕は、一緒に社員の上司にあたる人と世界大会の南アフリカに行っていたのですが、予選敗退ともあり一緒に来ていた人たちとの雰囲気は最悪でした。(笑)

 

正直これが一番辛かったです、。

 

世界大会を終えて

Q.初めての大会優勝から世界大会出場と、生活は変わりましたか?

2009年、日本ファイナルを優勝して生活ががらりと変わりました。優勝したその日中に取材が入ったり、イベントの予定もバンバン入るなどと、約半年の間は忙しかったです。

ですが、逆に世界大会を終え、日本に帰ってからは何もなく、イベントもないのでここから約2年間地道に頑張る、辛い日々を送りました。

 

2011年世界大会から変わる

2011年にマレーシアの世界大会に呼ばれ、16人選抜の大会で4位になりました。

この大会で初めてバク宙でボールをキャッチするバックリップクラッチをやり、会場はかなり盛り上がりました。

正直この技があるので、うまくいけば優勝できると思っていたのですが、結果は4位。

優勝できないのは何か足りないと思い、いろんな人に聞いたらスキル的な部分、大技はあるのに細かいスキルが足りないことに気付かされ、そこを重点的に練習しました。

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Photo Credit : ken313.blog50.fc2.com

 

次の年、前回予選敗退したRedBull Street Styleがまた国内大会、世界大会とやることを知り挑戦しました。

結果、国内大会は自身2度目となる優勝をして、イタリアの世界大会の切符を獲得しました。

 

地道な努力が結果を生む

イタリアの大会では2回目ということもあり、プレッシャーをあまり感じることがなく気楽に挑むことができました。

トーナメントを見ると1、2回戦が山場であり、ここを勝てればいけると確信しました。集中して挑めてノーミスで1回戦、2回戦とすすむことができ、そのまま順当に行き優勝を勝ち取りました。

 

優勝に必要不可欠なパートナー

実はセコンドのように大会ではつけることができ、同級生のフリースタイラーの友人がたまたまヨーロッパを旅行中で、帰り際世界大会を覗きに来てくれました。その人と3日間位、観光や練習を一緒にしました。

その人は作戦も一緒に立てたり、相手の分析などサポートをしてくれました。バトルの直前まで話していて、メンタル的にも救われたんです。正直一緒にいなかったら優勝はできなかったです。

 

実は一緒に居すぎて、テレビ取材などでもがっつり映り、彼がインタビューもされたりと彼自身もテレビに映ったことで人生がいい方に行ったみたいです。(笑)

お互いwin winで終わりました。(笑)

 

ものすごい話題となった、あのCMの秘話

日清カップヌードル「サムライ in ブラジル」

Q.話題のCMで一躍有名になりましたが、そのときのお話を聞かせていただけますか?

あれ、実はいろいろ大変だったんです。(笑)

最初用意された衣装が本当の甲冑で、正直こんなの着て出来る訳ないと思いました。かなりのパーツで構成されていて着てみても重すぎで、、監督にお願いして最低限のパーツだけを着けることになりました。

 

また、ブラジルでの撮影だったのですけど、監督とまず意見が合わなくて、、。

最初のシーンで歩いてボールをよこせというシーンがあると思うのですけど、そこだけでも何十回も撮り直しました。監督の意見では技のシーンが少なく、こっちとしては技のシーンを入れないとカッコよくならないと思い、監督と何回も衝突ました。

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Photo Credit : gori.me

 

朝から晩まで丸一日撮影で、最後にバク宙の技のシーンを撮ることになっていたのですが、向こうもマット用意してるから大丈夫と、カッチカチの硬いマットを見せてきました。

 

撮影も長引き、エキストラの雰囲気も悪く、ポルトガル語ですが完全にヤジを飛ばしていて、この中やるのか、、。と正直思ってました。

そんな中、バク宙の技をやった時、兜の重さから頭からおもいっきり落ちてしまったんです。

ここで、さすがにキツイと思いながらもエキストラからはドヤされてるのですぐ次のテイクに移りました。兜のせいで蹴り上げたボールも全く見えない中、勘をたよりになんとか成功させたのがあの映像なんです。(笑)

 

本当に奇跡的な一回で、あの映像は撮り終わることができました、、。

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Photo Credit : www.youtube.com

 

日本に帰って出来上がった映像をみてみると、案の定ボールを蹴っているシーンは少なく、すぐさまマネージャーにフリースタイルをしているシーンを増やすよう伝えました。

それでやっと今の映像が出来上がったんです。

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Photo Credit : response.jp

 

実は日清さん的にもこの動画はトータル100万回再生あればCM的にオッケーだと見込んでいましたが、結果は一週間で100万回再生は突破、そっからどんどん増え一年で1000万回再生と、この反響は本当に凄かったです。

これで街中でサムライと呼んでくれる人もいて、めちゃくちゃ嬉しかったです。

 

 

普段の生活

Q.そんな TOKURAさんの普段の生活を教えてください。

普段、休みはほとんど練習しています。基本一人なんですが、土日は仲間ともやったりしますね。

 

板橋区の体育館で普段練習しているのですが、フリースタイルは本当どこでも練習できるのでいろんなところで練習しています。

 

練習以外だと映画が好きなので、映画をよく見ます。直接フリースタイルのモチベーションになる映画も、もちろん観るのですが、どっちかというとメンタルにドーンと来る、くらっちゃう系の映画が好きです。(笑)

 

Q.特に好きな映画とかありますか?

ミリオンダラーベイビーという映画です。

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Photo Credit : www.movpins.com

あれは自分にもハマるところもあり、いろいろ想像してしまします。泣けるシーンとかもあって好きです。

 

あ、あと釣りもします!

東京ではあまりできないですが、愛媛出身ともあり、海や川での釣りが小さいころから好きでした。

実家に帰れば釣りに行きます。


一つのことに集中

もしフリースタイルフットボーラーではなかったら

Q.フリースタイルをやっていなかったらどんな人生を送ってそうですか?

多分、、。何をしてるかわからないですけど、とにかく勉強が嫌いだったので就きたい仕事はできてないかもしれないですが、プライベートは充実させていたと思います。

結構ハマり気質でハマったら抜け出せないので、今は他のことには触れないようにしてるんです。でも最近DJの機材に触っちゃったんですよ、、。(笑)楽しかったです。。

こんな感じでやりたいことは充実させていたのかなぁと思います。

 

もしかしたらサッカーをやっていたのでサッカー関係の仕事をしていたかもしれません。

ですが愛媛出身で東京に出る予定はなかったので割と出身地で普通の仕事をして生活していたかも。

 

切っても切り離せない存在

Q.あなたにとってフリースタイルフットボールとは?

最初は趣味で始まり、今は生活の一部であり、糧となり、仕事でもあります。本当切っても切り離せない存在であるのは確かなんですが、僕は特に趣味って部分を大切にしていきたいと思ってます。

仕事仕事してしまうと、楽しみもなくなり辞めたくなるかもしれません。なので楽しんで練習を毎日続けていきたいです。

Kotaro Tokuda relaxes during a photoshoot in Yokohama Akarenga, Japan on November 19, 2012 // Hiroyuki Orihara/Red Bull Content Pool // P-20121203-00157 // Usage for editorial use only // Please go to www.redbullcontentpool.com for further information. //

Photo Credit : my-experience.net

 

基本どんなショウでも受けるようにしているので、どこにでも行ってどんな所でもショウをしたいと思ってます。

フリースタイルフットボールは、自分のもともとのルーツを大切にしながら楽しんでやってる、生活の一部って感じです。

 

今後の目標

Q.今後の夢とかありますか?

もちろんもう一個タイトルが欲しいです。

自分のスタイルを崩さず、やっぱりその時の運もあるので時が来たらまたタイトルを狙っていきたいです。

 

また、自分自身しか出来ない活動というものもやらせてもらってるので、フリースタイルフットボールの可能性や需要をどんどん目指していかなくてはいけない立場かなぁ、と思うようになってきました。

なので、もっといろんな人が楽しめる大会などの考案や、全くカタチを変えてもいいかなとも思ってるので、枠に捉われずもっと色々な人が活躍できる場を考えていきたいと思います。

 

座右の銘

最後に一言

そうですね、、。継続は力なり。と言いたいところですが。努力感があるので、

 

『好きこそものの上手なれ』

 

こっちの方が僕たちは大事かなと思います。やっぱり上手い人は誰よりもそれが好きで、ずっとやってます。好きなら好きな分練習するので、やっぱり上達が早いです。

なのでこの言葉が一番しっくりくるかな、と思います。

 

インタビューを終えて

今回インタビューさせていただいたTOKURAさんですが、やはりフリースタイラーともありかなりのストイックな考えの持ち主でした。

最後の座右の銘にもあるように、本当にフリースタイルフットボールが好きで、まさしく今後のフリースタイル界の立役者になることは間違いありません。

TOKURAさんの活躍に今後も期待です。

 

それでは

 

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